仕事はだれのためか
この前、職場でプリントアウトしたいものがあった。わたしには印刷する権限がなくて、上司に依頼したのだが、その人はただ印刷するだけじゃなくて、部数ごとにホッチキスで留めて机の上に置いてくれていた。
そのときに「仕事って他人のためにするんだな」って改めて思った。すごく些細なことかもしれないけど、刺さった。人のふり見て我がふり直せ、をわたしはそんなふうに他人のために仕事できてるのかな?って考える機会になった。
わたしは普段、村にいることが多く、用事があるときにだけ職場に出向く。職場にいくときは、村でできることはあまりしないようにしている。迷惑かもしれないが、おしゃべりに徹する。部署、役職、自分の担当だとか、上司とか社長とか関係ない。
わたしの所属部署は出口から一番遠いところに位置している。自分の部署にたどり着くために全部の部署の前を通る。わたしは自分の部署にたどり着くまでに、半分くらいの部署の人にあいさつしておしゃべりする。これがなかなか楽しい。広報とかSNSとかでわたしのことを知ってくれているひとに進捗を聞かれたり、どこどこに載ってたよ!とか、おもしろい話とか、新しいお店とか、わたしが興味ありそうなこととか教えてくれる。
ネットには溢れるほど情報があるけど、こういう生の情報というか、人の血が通った情報はいい。そこで新しい考えに出会ったりする。
わたしは今年村にホップを植えて、市内の醸造所でビールを作ったのだが、わたしのつくったホップなんてもしかしたら1%も入っていないかもしれない。そんなビールを堂々と「村ビール」と謳っているわけだが、これに対して、「新しい発想だった」と言われた。勝手に、100%じゃないとダメとか、全部自分でやらないとダメだと思っていたらしい。だから1%くらいしか自分のホップが入っていないビールを「村ビール」といっちゃうわたしが特別な存在にみえたらしい。そして「新しい発想をありがとう、勉強になった」と言われた。
これは逆にわたしにとっても新しい発想で、100%じゃないとダメとか、全部自分でやらないとダメだと思っている人もいるっていうことを知れた。
こういうことはネットじゃわからないことで、こういうことがあるからわたしは今日もたくさんおしゃべりしてよかったなと思う。
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