女は好きに生きたらいけないですか?
天国のような年末が終わり、地獄のような年始が終わって、いよいよ2021年の幕開け。
むかしから年末は好きだけど、年始はあまり好きじゃない。年末は1年のおわりだ、ごほうびだってひたすらだらだら過ごせるけど、年始はなにか新しいこと始めなきゃいけない、ピシッとしなきゃいけない、そんな世間の圧にいつも押し潰されそうになる。だれにもなににも強制されず自由に生きたいのに、それを世間は許してくれない。
勇敢な選択
新しい一歩、夢への一歩を踏み出すために4年付き合っていた彼と別れた。いろんな葛藤があったけど、ゆっくりじっくり自分と向き合って導き出した答え。勇敢な選択。もうなにも迷うことはないし、振り返ることもない。
わたしはただ選択をしただだけなのに、周りの評価はひどいものだ。
「もう若くないんだから」「いつまでもちやほやされる年齢じゃないんだから」「そんなんだから彼氏に逃げられるんだ」だの「男ならわかるけどあなたは女なんだから」「普通に結婚してこども産めばいい」「女がそんなことしなくていい」だの、散々だった。
彼氏に逃げられたと言われることとか、結婚できないと言われることは別に気にしていないけど、なにより悔しいのが「女だから」と言われてしまうこと。
女は好きに生きたらいけないの?
わたしだって好きで女に生まれたわけじゃないし、男しか好きなことするのが許されないならわたしを男に産んで欲しかった。
今まで自由に生きてこれたり、多少なりとも周りに愛されて生きてこれたのは、わたしが「女だから」だったのだろうか。
仮に「女は好きに生きてはいけない」と言われたとしても、わたしはそれを身を以て知らない限り納得はしない。いくら周りに言われようと、わたしは自分で経験したことしか信じない。だからわたしに対してこんな論争や説得は全くもって無意味。心配なのはわかるけど、心配なら、ほんとにわたしのことを想ってくれているなら、性別なんかで判断しないでわたし自身をちゃんとみて欲しい。
でも今は机上の空論、ただの中二病でしかないから、言われても仕方がないのかもしれない。今のわたしの言葉や人間性にはまだまだ重みや厚みがない。だったらやることはひとつで、自分の決めた道を信じて突き進むことだと思う。
貫けばスタイルになるし、周りも認めてくれるだろう。
ただわたしはだれかに認めてもらいたくて行動するのではない。仮に認められなくても、自分自身が納得できる生き方が実現できてればそれでいい。他人の評価のために生きているわけじゃない。他人の決めたルールに従う必要もない。「生殺与奪の権を他人に握らせるな」って富岡さんも言ってた。ちょっと違うけど(笑)要は他人のものさしと自分のものさしは違うから、他人の価値観での評価や基準を気にする必要はないってこと。
人生をかけて挑戦したいこと
季節ごとの本来の意味を置き去りにした意味のないイベントに急かされて、強制的に季節を感じされられるのも好きじゃない。やれハロウィンだ、やれクリスマスだ、お正月だ、節分だ、って。そんなことしなくても、山の色づきや、におい、空気で季節を感じたい。
そんな生活がしたいから田舎移住をするわけで。自分のものさしで生きたいから起業を考えているわけで。あれもこれもやりたいのは、何事も経験の上に成り立つことを身を以て知っているからで。あれもこれもやるのは、その方が豊かな暮らしができると考えているからで、さらに言えば、この多様化する現代社会ではひとつのことだけに打ち込んで生きていくのはなんとなく頼りない気がするから。一見バラバラでもわたしの中ではぜんぶぜーーーーんぶつながっている。すべては自分の人生のために。
好きなこと好きなだけ。これがわたしの生きる道。
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1月22日より音声配信「むらじお」をスタートします。
これから実現したい世界や自分の価値観について語ります。毎月8日と22日に配信しますので、よかったら聴いてみてください。
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