足るを知る生き方
久しぶりに会った妹はお茶会に招待されていたり、ハイブランドに憧れをもつようになっていたり、食べ物にもこだわっていて、オーガニック食品、フェアトレード等、ていねいな暮らしを意識した生活で人間として意識高くなっていた。環境は人を変える。姉妹でもここまで価値観に差がでる。
価値観なんて人それぞれだし正解はないけど、この価値観の違いはどうやって生まれたのかが気になったので今日のテーマにしてみる。
ハイブランドには昔からあまり興味がなかったが、わたしも「オーガニック」や「フェアトレード」に憧れ興味持っていたことがある。
憧れとか興味というよりはなんかそうしないといけないと思ってた。
たぶんだが、東京で働いているとなんとなく生産者よりも上に立っている気分になって、オーガニックとかフェアトレードとかそういうものを選択しないといけないと感じたり、無駄に消費してしまっている生活に罪悪感を感じていたのだろう。
無駄に消費というのは東京での生活そのものを指してる。
わたしがそういうものを選びたい背景には自分の罪悪感が背景にあった。でも今は物事の見方がよりクリティカルになってきて、なんというか、雑になった。できるだけ無駄を選ばなくなったことで罪悪感が少し減った。
たとえば、ものを買うときはまず中古品から探したり、壊れたら直そうとしてみたり、便利なものは買わず、1つで何役もできるものを探すようにしたり。
テレビを見なくなって、雑誌をみなくなって、流行りを追わなくなった。テレビ雑誌をみなくなったのは、テレビや雑誌にはいつも広告主がいて、その広告主(スポンサー)の意図が組み込まれているという事実を知ったからだ。情報の取捨選択は情報がありすぎるがゆえに難しく、真実を見極めることはわたしには無理だと思った。
だからわたしはもうわたしの価値観で生きることを決めた。流行りにはついていけてないし、服だっていつも新品じゃないけど、わたしが選んだものが一番いいという思考を持っていれば無敵なのだ。
わたしが選んだものが一番いい思考になると人周りと比べる必要がなくなると、周りの目を気にすることがなくなって、生きやすくなる。
あと価値観(自分がいいと思うもの)なんて時代と共に変わりゆくものだし、今はこれがいいと思っていても数年後は全く違うようになっているかもしれない。変わることは悪いことじゃなく、むしろいいことだ。自分の声をちゃんと聞けているということ。
2歳のときはアンパンマンが好きで、小学生にもなるとアンパンマンのなにがよかったんや?ってなるし、中学生の頃はテレビドラマが好きで憧れて、高校生になるとサブカル系のブロガーに憧れて、大学生のときには海外に興味をもった。
わたしはもうアンパンマン好きじゃないけど、何十年もアンパンマンが好きな人がいても全然いいと思う。大事なことは自分が選んだものが一番というものさしはあくまで自分のものであって、他人には他人の自分が選んだ一番いいがあるということを認識しておくことだと思う。
自分が一番いい=正しいではないということ。
当たり前やん?って思ったでしょ。
でも今の世の中を見てよ。
みんながしてること=正しいになってない?
ちゃんと自分の考えをもって、それに従うことは時々大衆と真逆なこともあり、そのときは自分の意思を貫くのに苦労するけど、ちゃんと自分の考えを持たないと誰かが意図する人生になってしまうのではないかと思う。わたしは自分の人生が自分のものでなくなることが一番怖い。
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