結婚という社会的地位について
女性の年齢はよくクリスマスケーキに例えられる。このような表現はいつ生まれたのだろう。
25歳、もうすぐ26歳を迎える今、改めて結婚というものを考えてみた。
いつからだろう。わたしには結婚願望があまりない。学生時代の夢ノートを見返してみたけど、そこにも「結婚」の文字はなかった。
特に問題のある家庭で育ったわけでもないのに、なぜか結婚にいいイメージがない。
結婚といえば、自由がなくなるイメージ。
自分が好き勝手自由にできない自由だけでなく、苗字の自由、家族の自由、社会的地位の自由、思想の自由、宗教の自由などなど。
特に苗字の自由がなくなることは、アイデンティティの喪失につながるほどわたしにとって重大な問題。
もちろん制度として、夫婦別姓、婿養子、そういったものはあるけど、わたしが今ここで言いたいのはそういうことじゃない。
・・・うまく言えないけど。
日本の結婚制度に違和感を覚える。
「常識的に考えて」ってよく言われるけど、今の日本の結婚の概念や文化を常識と考えるのも嫌だし、そもそも常識ってなんなの。
こういうもんだって思えれば幸せなんだろうけど、どうしても疑問を感じてしまう。本当に生きづらい。
疑問を持たずに生きるのが嫌。
本当に頑固すぎて、自分でも嫌になるし、なんでこんなに生きにくいんだろうと思うし、この頑固さのせいで失ったものもあるけど、それでもやっぱり自分の理想を追い求めて生きたい。人生の選択を「常識だから」という理由で選びたくない。
ああだこうだ書いたけど、決して結婚したくないわけではない。ただ、結婚だけが一緒にいれる手段ではないのではないと思うだけ。
いつかわたしを理解してくれる人に出会えたらいいなと思うし、こんなわたしでも生きれる社会になればいいなと思う。
多種多様な生き方が認められつつある世の中。いつか結婚の概念も変わって、時代が私に追いつく日が来ることを信じています。
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わたしはね、ゆとり世代ど真ん中なんだけど、ゆとり世代こそが次の日本をひっぱっていく世代だと思ってる。
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