林業と日本の未来について
こんにちは。村長のぼうまいです。
今日は岩手県葛巻町(くずまきまち)で木について考える研修に参加してきました。
改めて考える機会になったので、このnoteを書いて、みなさんともぜひ議論したいです。
ぼうまい村では現在、古民家のリノベーションの計画が少し進んでいて、その関係で木についての知識を深めたいと思って参加した。
木の種類によって、建築的にどこの部分に使うのがいいのかとか、現存の建物、柱はなんの木であるかとか、みただけでわかる専門家の方がかっこよくて、わたしもせめて自分が関わる部分だけでも知っておきたいと思った。知識ってどれだけあってもいいものだから。知る=愛着につながると思ってる。
今回の研修はわたしの他に4名の地域おこし協力隊が参加していた。それぞれ自然が大好きで自然を遊び場、生活の場としているアラサー集団。夜のワークショップでは少々ヒートアップして楽しかった。もちろんお酒の力なんて借りず、全員本気の本気。
少なくとも地域おこし協力隊として、わざわざ田舎に移住してくる若者は生き方や環境問題になにかしらの考えを持っていて、それぞれ信念を持って活生活している。最近のわたしは思い(理想)と商売(現実)の板挟みで苦しかった。今日少し軽くなったし、わたしはわたしの信念を貫きたいと思った。そして勉強が足りないと思った。
行き着くところは山
環境問題を考えたときに行き着くのは山である
これわたしが発言したんじゃないけど、めっちゃその通りと思った。わたしの村のコンセプトは
で、ミッションは
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自然とともに暮らすこと
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消えゆくものを守ること
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豊かさの追求をすること
豊かさの定義は人それぞれでいいと思う。わたしにとっての豊かさは自然と共に生きること。だから田瀬にぼうまい村をつくった。だから田瀬で生活したり、農業の真似事したり、林業に興味持ったり、狩猟したり、山登りしたり、スノーボードしたりしてる。
消えゆくものを守るために、古民家をリノベしたり、壊されそうな施設(炭焼き小屋)で炭を焼こうとしたり、耕作放棄地で農業始めたり、山を切り開いて管理という目的で葡萄栽培を考えたりしている。
近所のおじいちゃんの手をみて、その分厚さに感動したり、おじいちゃんの話をきいてなにか込み上げてくるものがあって、泣きそうになったりする。
地域おこし協力隊だけど、その地域のためになにかしようなんて思ってない。ただわたしはやりたいことをやるだけ。でもなんのためにやるかって、いうと最初に戻るけど、消えゆくものを守るため。わたしのやってること、これからやろうとしてることが結果として、その地域のため、日本のためになればいいと思う。
でもたまに違う考えの自分がでてくるときもある。
人間が手をかけないことが原因で消えてしまうものは自然の摂理なのではないか、と。
消えゆくものを守る必要が本当にあるのか、と。
消えゆくものはもう消えてしまいたいのではないか、と。
でも今日の夜のワークショップで新たな視点から考えることができた。そしてやっぱり消えゆくものを守りたい!守らねば!と思った。
その視点というのは、消えゆくものが消えるならいいけど、存在し続けるのであればこの資本主義経済の中で、だれかに所有される可能性があるという視点。そしてそれはもしかしたら外国人かもしれないということ。そうなってしまうと日本が日本でなくなる日がくるかもしれないってこと。
そうなるのも自然の摂理といわれればそれまでなんだけど・・・
めっちゃ難しい。
なにが正解なんだろう。他の人の意見も聞いてみたいな。
時代が変われば、正義が悪になったり、悪が正義になったりする。だからこの世に“絶対”はない。だから全部エゴなのかもしれないけど、わたしは一旦、消えゆくもの守る方で生きてみようかなと思う(軽い)
木について考えてたら、日本の未来について考えることになった
経済的な豊かさを重視するあまり、見えなくなってしまったもの、消えてしまったものがある。未来へ残したいものはなにか。今一度考えたい。
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