いただきますという考え
わたしは海外へいっても食べる前は必ず「いただきます」と両手を合わせる。海外では両手を合わせる=仏教だと思ってる人が多いので、たいがい宗教的な慣習だと思われるのだが、わたしは仏教徒ではないし、いただきますは宗教的な慣習ではないことを説明する。
わたしがいただきますと手を合わせるのは生き物のいのちへの感謝のため。
日本は特に、今食べているものがほかの動物の命であることがみえにくい。スーパーに並ぶとお肉をみても、それが牛や豚だったことは連想しづらくなってる。
海外の市場は、まだまだ日本ほど整っていなくて(整うことがいいか悪いかは置いておいて)割とリアルに動物を感じることができる。(それがいいか悪いかは置いておいて)
日本にはほかの国ほどベジタリアンがいない。それはお肉を食べるということがほかの動物のいのちであるという認識が薄いからではなかろうか。
アルゼンチンはアサードと呼ばれる肉料理が有名な国だが、一方でベジタリアンも多く、どのレストランにも1メニューはベジタリアン向けのメニューがある。友達とのパーティでもグループのうち1,2人はベジタリアンだったりする。わたしもアルゼンチンにいるときは、あまりの生々しさに、お肉を食べることを控えたりもした。
だからといって、肉を食べる人たちに対して、外道だとか、野蛮だとか言うつもりは全くない。わたしはお肉大好きだし、わたしの祖父は焼肉屋を営んでいる。
(日本のベジタリアンやヴィーガン主義者が他者に対して攻撃的なのは何故。。)
何が言いたいのかというと、ちゃんといただきますしてごはん食べようぜ。ってこと。いのちに感謝して残さず食べようぜ。ってこと。
日本のサービス精神は時に狂気すら感じてしまうほど過剰。
夕方や、遅い時間のスーパーにまだ残っているお惣菜に対していつも疑問を感じる。自分たちが便利に生きるためだけに消えていったいのちを思うと胸が苦しくなる。
捨てるほど大量に作らなくていいじゃん!足りないくらいで作ればいいじゃん!なくてクレームになるのが怖いとか意味わかんない。そんなクレーマーも意味わかんない。自分たちの利便性のためにほかの動物の命を粗末にしてる君たちの方がよっぽど怖いとわたしは思う。
こないだ農場にいって、改めて感じた。大量生産で飼われている鳥の目をみてすごくブルーな気持ちになった。毎日毎日思わなくてもいいけど、(毎日思ってたら気が狂ってしまう)たまには思い出したいと思った。そして毎日毎日感謝してごはんを食べようと思った。
まじで1日中食べもののことを考えてるといっても過言ではないほど食べることが好きだからこそ、食べ物については敏感でちょっとめんどくさい。
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