自分の感情はどこからやってくるのだろう
もしかしたら前からかもしれないが、最近「変わっているね」と言われることが多くなってきたように思う。わたしはただ自分の感情、欲望にしたがって素直に生きているだけなのに、「変わっている」という称号(?)を与えられることに少々納得いっていない。わたしは別に変わってないと思う。人より少し素直に生きているだけ。
でも変わってると言われてしまうのにはきっとそれなりの理由があるはず。だから変わっていると言われる故について考えてみた。
※変わっていると言われることを侮辱だなんて思っているわけではない。むしろ逆で、ほめ言葉だと思っている。いつもわたしのことをそんな風に思ってくれてありがとう。
自分の感情はどこからやってくるのだろうという問い
わたしは自分の感情に素直にしたがって、いつでも自然体でいるということを人生の唯一のルールとして生きている。それで変わっていると言われるんだから、原因はこの「感情」にあると結論づけた。
じゃあこの感情はどこからくるのだろうと自然な疑問が生まれてくる。物事に対して常に疑問を抱いてしまうのはわたしの悪い癖だが、もうどうしようもない。おかげでいつも文句言っている奴だと思われる。これは悲しい。
決して文句ではないということを理解してもらいたい。素直な、単純な、疑問なだけ。口うるさいやつだとか、こだわりが強いやつだとか、色々言われるのは構わないが、文句と言われるのだけは否定したい。わたしだってもっと世の中に疑問を抱かずに生きれたらどれだけ楽だろうと思う。
人から言われるこの”文句”に対して、自分の中で答えを見つけて今実現しようとしているところだから待っていて欲しい。
少し話が外れてしまったが、今回はこの自分の中に生まれてくる感情と向き合ってみた。自分の感情はどこからくるのか。
そこでわたしが立てた仮説は、自分のなかで生まれてくる感情は遺伝子レベルで組み込まれているものではないかということ。日本が誕生してから2,000年くらいの歴史がDNAに流れていて、そこから発生しているのではないかと考えた。
ここまできたらわたしの疑問はもう止まらない。
普段なにげなく使っている「日本」「日本人」「日本文化」これらは一体どのようにして発生して、現代まで続いているんだろうと。この国の成り立ちや歴史について学びたくて仕方なくなってくる。もちろん小学校から社会の授業で歴史については学んでいるが、なんというか日本という国の成り立ちや日本人のルーツとなっているものについては学んでこなかった。どこかぼやっとしていて釈然としない。いつか日本のルーツをたどる旅にでたい。
今のわたしの疑問に答えをみつけるためには、これらについて学ばないといけない。わたしの原動力はいつも探究心と知的好奇心。
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