食物連鎖の頂点に立つということ
あるドキュメンタリー映画をみた。
近年環境問題だとかいって、スーパーの袋を有料にしたり、プラスチックのストローをなくしたり、ペットボトルを減らすためにマイボトルを持ち歩いたり、プラスチックを減らすために躍起になってあれやこれやと政策、対策を講じている。
正直紙のストローは飲みにくいし、あんなに小さいものを減らしたところで意味ないやろって思ってたり、スーパーの袋もそのあとゴミ袋に使ってるし、たとえスーパーで復路を貰わなかったとしても、結局ゴミ袋が必要になるから100均とかドラッグストアでスーパーの袋買ってるし、根本的な解決になっていない。一体何の意味があるのか。
それでもこれだけ躍起になるには理由があるってことをドキュメンタリーを通して学んだ。
そのドキュメンタリーによると、プラスチックストローが海洋生物に与える影響は全体の0.03%程度だそう。絶滅危惧種であるウミガメの死亡要因は地球温暖化でもなく、環境問題でも、海洋汚染問題でももちろんストローでもない。じゃあいったいなにかというと、魚を獲るための網やブイなどの漁具。その割合は全体の45%を占める。プラスチックで死んでしまうウミガメは地球上で年間1,000匹。一方漁業が原因で傷ついたり、死んでしまうウミガメはアメリカだけで年間25万匹にものぼる。
なのになぜかここ(商業漁業)にはフォーカスされない。ストローばかりが注目される。なぜか。そういう海を守る団体の多くは漁業組合などから活動資金を得ているからだ。「漁業を減らしましょう」「漁業をやめましょう」とは言えないのだ。だからその問題にみんなが着目しないように、ストローだなんだ言って問題をすり替え、騒いでいるのかな。
どの食べ物でもあることだが、漁業においては持続可能な漁で獲れたことを表す、MCSやASCラベルが存在する。その認可を出している団体のHPには、
「MSC「海のエコラベル」は、厳格なMSC漁業認証規格を満たし、水産資源と環境に配慮し適切な管理を行っているとして認証された漁業で獲られた水産品に付けられる証です。」
とかかれているが、実態は認可をだせばだすほど「ラベル使用料」のようなかたちで儲かるので、申請すればほとんどの業者がその認可を受けられるそう。(この映画によると)その団体の言い分としては「海の上で起こることだからだれにも監視ができない」だ。そんなこと言い出したら元も子もない。「サスティナブル・シーフード」とは一体なんなのか。
※この団体のHPをみにいったらこの映画への反論について掲載があった。
https://www.msc.org/jp/media-centre/opinion/2021/04/09/response-to-netflix-seaspiracy-film
じゃあ養殖だったら、合法的で環境にも海にもよいのかというとそうではない。これは家畜問題とよく似ているが、魚を育てるのに、育てる魚以上の魚が餌のために犠牲になっていたり、養殖場が排出する有機廃棄物の問題も深刻。
また商業漁業が及ぼす影響は海洋生物だけにとどまらないということもこの映画から学んだ。
一度に大量に魚たちを捕獲するトロール漁は大量に魚を獲るだけでなく、目的ではない生物や周りの海洋植物、環境までをもごっそりとっていく。破壊していく。それだけでも恐ろしいのに、遠方から大きな船を出せることになったことで、現地の小さい船での漁が難しくなり、現地の人の食料不足にもつながっているということ。それが沿岸地域だけでなく、内陸地域への食料不足にもつながり、結果動物を食べることになり、その動物から発生したエボラ出血熱。(この論はちょっと無理があると思うけど)とにかく、商業漁業が海洋生物だけでなく、同じ人間に対しても、人間が破壊を行なっている事実が悲しくて胸が痛んだ。
高校生のときに英語の授業で好きなテーマでスピーチしていいよってなったときのわたしのテーマは「貧困と飢餓について」だった。当時好きだったバンドの歌詞に、
Today six billions of people are breathing, feeling, and living
Today fifty hundreds of children are starving, fearing, and dying
Would you tell me why? what could I do with this
Tell me why how could I remember this
というのがあって、このとき初めて世界の貧困について考えた。それまでは恥ずかしながらなにも知らずに生きてきていた。この歌を初めて聞いた時、(たしか通学時だったと思う)涙ぐんでしまったことを今でも覚えてる。それくらい衝撃だった。自分がなにも知らずに、なにも考えずに生きていたことが衝撃的、ショックだった。
もしかしたら知らない方が(胸が痛まないから)よかったかもしれない。世の中って知らない方がよかったってことの方が多いと思う。でも全て現実なわけで。現実から目を背けたところで、起こっている事実が消えるわけではないから、やっぱりわたしは知りたいと思う。
海の中の問題は陸よりも見えづらいから、本当に知らないことばかりで、というか、今まで考えたこともなかったかもしれない。今回この映画を通して、少しでも知れてよかったと思う。ただ、この映画ではこの問題に対する答えとして、「魚を食べないこと」って言っていたけど、わたしは魚もお肉も大好きだし、食べないという選択はできない。
でもこの問題を知った今日はきっと昨日とは違う自分だし、この問題のためにわたしひとりがなにかアクションを起こしたところで世界が変わらないのはわかってるけど、昨日の自分と同じ選択はもうできない。自分の生き方は変えられると思う。今はまだこの事実へのショックでなにも考えられていないけど、じゃあどうして生きていくか、ということを改めて考えたい。
見終わったすぐは悲しすぎて辛すぎて、人類さえ滅べばその他すべての生き物は地球含めすべてサステイナブルに生きていけるんじゃないかとまで思った。事実そうかもしれないけど、生きてしまっている以上なにか他の方法を考えたい。そう考えたわたしはまた同じバンドの今度はあの歌が。
だから1,2,3で滅んじゃえばいいんだって
だって なんてったって
人口が増えすぎたから食糧が足りないのかな?経済成長しないといけないから、毎年右肩上がりで事業を継続させないといけないから、魚を、肉を、とりすぎるのかな?ついに人類は昆虫にまで手を出し始めた。人間が手を出したものはことごとく絶滅へと追いやられている気がする。虫は例外なんてことはきっとないと思う。
あと家畜問題について。家畜の問題は海よりも目につきやすいから考える機会も多い。
これだけの家畜を育てるのにこれだけの食糧が必要で、それだけの食糧があるなら世界の貧困問題が解決するとかしないとか。家畜が発生させる二酸化炭素が地球温暖化の一端を担ってるとか、色々あるけど。
家畜の「いのち」を考えると、一生狭くて不衛生な、家畜にとって決して幸せとは言えない空間でただ殺されるためだけに生きて。鳥インフルエンザだ豚インフルエンザだとか言って、仕方がないけど大量殺戮される。家畜でなければそんな病気だって生まれなかったかもしれないのに。そんなニュースをみるたび、家畜に生まれなくてよかったと思わされる。「人にされて嫌なことをしない」って幼稚園で習うのに。生まれなくてよかったと思う存在を生み出しているのは紛れもなくわたしたち人間。
ただ食物連鎖の頂点に立っているだけでまるでこの世を支配しているかのよう。
カラスが増えたから殺します
さらに猿が増えたから減らします
でもパンダは減ったから増やします
けど人類は増えても増やします
さて、そろそろどのバンドかわかってきたかな。
人類はこの世をまるで自分のものだけかのように振る舞う。この世の全ては自由自在なのかもしれない。
そんななか、今回新型コロナウイルスというウイルスがでてきて、たくさんの人類がこの世からいなくなった。こんなこと言ったらどこかの誰かには怒られてしまうかもしれないけど、増えすぎた人類を減らすためにだれかがやったことなの?そんなことはあり得ないけど、人類の”万能”ぶりを考えるとあり得なくもないなと思ってしまう。ふと浮かんだ歌は別のバンドの歌。
本当はこの地球(ほし)も 誰かが作ったニセモノで
金魚のように水槽で 飼われてたとして
たまにくる雷や各地を荒らす地震でさえ
実は飼い主がイタズラで 遊んでるだけで
わたしが貧困問題や環境問題に関心を持つようになったきっかけがある日本のロックバンドや今回の映画だったように、わたしの書くこの文章が誰かの地球の未来を考えるきっかけになればいいなと思う。
今のところ、わたしは肉を食べることも魚を食べることをやめれそうにないから、動物には最大限の感謝をして「いのち」をいただきます。
週に1回でも動物を食べるのをやめてみたり、自分で釣れた魚だけを食べるようにするとか、なにか変えていきたいなとは思う。
考えるのにすごくいい映画だった。
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