自己肯定感の高いと低いはいつ決まるのか(2022.11.30加筆修正)
人は絶えず脳みそを動かしている生き物だ。わたしも例に漏れず妄想も含め、常になにか考えている。人間は考える葦だってパスカルも言ってた。
本当にどうでもいいことに思考を巡らせることを「思考の無駄遣い」と呼んでいるが、運転中によくわたしは思考の無駄遣いをしている。
どんなに無駄かというと、地球は本当に丸いのかということや、ロケットに乗って宇宙にいくって本当に現実で起こってることなのかとか、本当に太陽は西に沈むのかとか、もう科学的に証明されているようなことにも疑問をもってみたり、本当に意味もない無駄なことを考えている。わたしはきっと哲学者なんだろう。
そんな思考の無駄遣いのなかでふと、自己肯定感の高い低いっていつ決まるのかと疑問に思った。
わたしは自分の顔も声も好きだし、自分にできないことはない(わたしは最強)と思っているが、それはいつからなのだろう。
小学生の時スポ少に入っていた。その頃はまだ今ほど体罰に厳しくなかった世の中で、小学校高学年くらいになると顔面にボールをぶつけられたり、顔面ビンタされたり(まじで自分の両親にもされたことないのに)、ミスなんてぜったいあることなのにミスしたら怒られて、バレーボール部なのにボールが怖かったし、ミスが怖くて試合が嫌いだった。
一番記憶にあるのは小学5年生のとき、練習が終わったあとに小学6年生VS親、コーチ監督で紅白戦をすることになり、審判をやることになった。わたしはたぶん5年生の中でリーダーだったかキャプテンだったかで、主審をやっていた。
で、ラインをみている審判(ラインズマンという)が曖昧なジャッジをしたためにおそらく誤った判断をしてしまい、試合後ボロカスに怒られた。
言葉の暴力と体罰でたしかわたしは泣きながら6年生全員の前で謝罪させられ、親コーチ監督にも謝罪させられた。
小5の子供のミスをこんなふうに大勢の前で叱責し、見せ物のようにみんなの前で謝罪させる大人。今思えば異常事態だ。
この出来事をTwitterなんかに書けばきっと大炎上するし、いまだにわたしの記憶に残っていることなので、相当なショックな出来事だったと思う。
これは子供のわたしだから起こったことではなく、日本の社会で当たり前に起きている異常事態である。大勢の前で叱責する行為は恥ずかしいことだと学ばなかった大人がこうして子供にそのように教育し、その子供もまたそのように教育し、今の社会ができあがったのだろう。
中学のバレー部ではわたしの高い声が耳障りだったようで黙れと言われたり散々だった。声って生まれ持ったものなのにそれを知らない教師がいるって異常事態だと思う。
これで懲りたかと思いきやそのあと、そのあと高校に進学してもバレーボールは続けたので結果わたしは10年バレーボールをやっていたことになる。
高校のバレーボールはただ楽しいだけだった。小中学校で厳しいバレボールをやらされてたメンバーが揃ったために「楽しいバレーボールをやろう」とみんなで決めて顧問の了承も得て、厳しさ0のバレーボール部にした。全員が経験者だったのである程度試合にも勝てたし、女子高生らしくバイトや恋愛も自由にできて、先輩後輩という制度もなくした。(たまたま1年先に生まれただけで先輩ヅラとか恥ずかしくてできないよ)
信じられないかもしれないが、地元の高校のバレー部は恋愛禁止、髪型まで指定されているほどだった。いわゆる強豪校。
恋愛禁止の理由は顧問が男だから嫉妬するとかいう理由もあって、犯罪レベルの異常事態。(これは聞いた話だから真偽がは不明)
バレーボールとは関係ないが、小学6年生のときにはクラスのボス的な女子から嫌われて仲間はずれにされたことがあった。そのときクラスの劇でどこの班にも入れなかったことがある。そう、いじめられた経験もあるのだ。
小中時代にこれだけ大人から侮辱行為を受けたり、さらにはいじめも経験しているのにわたしの自己肯定感が高いのはなぜか。
先天性ポジティブなんだと思う。そして悪く言えば冷めた子供だったんだとも思う。今冷たい人間と言われてしまう所以は実はこの時に形成された人格によるものなのかもしれない。
子供のミスごときで本気で怒鳴れる大人に対してどこか冷めた気持ちがあったのだろう。だれの顔もはっきりとは思い出せないが、缶コーヒーとたばこの匂いで当時の思い出が蘇る。
ハブられたクラスの劇では隣のクラスに仲良い子がいたから迷わずそっちにいって何事もなく過ごした。そもそもハブられた理由は嫉妬だった。
そんなのわたしはかわいくて、「あなたはかわいくない上に性格悪いんやから好きな子に振り向いてもらえなくて当然やん」って思ってた。
そしてやっぱり、両親とか祖父母、担任の先生とか自分と関係が深い周囲の大人からは褒められて(受け入れられて)育ったからよかったんだと思う。昔から落とし物なくし物多くて、親には病気だと思われつつも、それで人格否定とかはされなかったし、そのことが原因で親にめちゃくちゃ怒られた経験もない。大人になってから人に「のびのびと育ったんだね」と言われるくらいにのびのびと育ててもらった。よくも悪くも。
何が言いたいかわからなくなってしまったが、まとめると、どうでもいい人からの言動なんてどうでもいい。気にするにも値しない。全部忘れていい。存在すらなかったことにしていい。ということ。
やっぱりわたしは最強。
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