PONCOZのすゝめ
PONCOZ講演会に登壇してきた。この前代未聞のイベントはきっと後世に語り継がれるだろう。
このPONCOZ講演会は自他共に認める「ポンコツ」総勢10名が、「生きづらさを感じている方に明日からの活力をお届けしたい!」という熱意を持って登壇する講演会だった。
入場無料、飲み物無料、食べ物無料、投げ銭方式のイベントだったが、なぜか黒字で終了したという、非常に奇妙なイベントだった。
来ていた友人から「すごい異業種交流だね」と言われて、今まで意識したことなくて気が付かなかったけど、たしかにそうだ。というか、ここにいるメンバー全員がたぶん職種とか役職とか年齢とか性別とかに一切興味関心がなく、対等で、フラットなことが当たり前という感覚を持っていると思う。わたしからしたら普通だけど、世間一般ではこれもきっと特別なことなんだろう。
講演内容は打ち合わせしなかったけど、なんとなくみんな同じことを言葉を変え、表現を変え、話していたと思う。とにかく行動せよ、たくさんの人と関われ、人に合わせず自分の得意を貫け、とかこんな感じかな。
改めて今回の登壇者の共通点はなんなんだろう。この居心地の良さはなんなんだろう。単純に似たもの同士ということを超えた何かがある気がする。
他の登壇者のことは知らないけど、少なくともわたしは海外で就職したり、縁もゆかりもない場所で村を作ったり、遠く離れた人と結婚したり、みんなと同じこと(=仕事して、結婚)してるつもりだけど、少しだけ人と違う部分があったりする。
だからみんなと一緒にいてもいつもどこか浮いた存在だったり、少しだけみんなと違う考えを持っていることでナチュラルに世間一般からズレていたりする。自分がズレていることで不用意に他人を傷つけないようにとか、集団とか組織の中にいるときは発言態度を間違えないようにとか気をつけたりしている。
別にそのことに対して、辛いとか生きづらいとかネガティブな感情はない。そういうものだと思っているし、わたしはわたしの人生をいつも客観視している。自分の人生だけど、どこか他人事のようにも思っている。ゲームで例えると、FPS(First Person Shooter)じゃなく、TPS(Third Person Shooter)でプレイしている感じ。人生をプレイしている感覚だから楽しい。
でもPONCOZメンバーに出会って初めて自分の居場所を見つけたというか、そんな気持ちになった。「すごいね」じゃない感想に出会えた。
わたしのやってることが理解できないリアクションの人に、悪気なく(多少あったかもしれないが)「あなたは他の人からすごいね!って言われるためにこんなことやってるの?」って聞かれたことがある。
謙遜とかではなくて本当にわたしはわたしにとっての普通のことやっているだけで、他の人にすごいと思われたいからやっているわけではないし、そもそも自分がやってることをすごいことだとは思っていない。ただ自分の感情に素直に従っているだけ。他のPONCOZもきっとそう。
今はまだ自分のやりたいことをやることがすごいと思われる世の中だけど、そのうちこれが普通になる日がくる。辛いことを一生懸命やるとか、苦手なことをがんばらなくてもいい。好きなことを一生懸命やればいい。自分の苦手な部分は誰かがきっと補ってくれる。他の人と違う生き方、最初は勇気がいるかもしれない。でも一歩踏み出してみたらこんな簡単なことだったの?と思う。そして意外と仲間が多いことにも気づく。気づくためにはやっぱりとにかくたくさん行動して、たくさんの人に会うことが必要なんだろう。講演会、オンライン登壇の予定だったけど、現地参加にして本当によかった。これもひとつの行動。岩手から東京へいくことはお金も時間もかかるし、オンラインという選択もある。でも現地に行ったことでまた仲間が増えたり、サポーターが増えたり、現地でしか見れなかった景色があった。
さて、これからPONCOZはどんな展開をしていくのか。本当になんでもできそうな、そんな夢があるコミュニティで非常に楽しみ。
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